シェイク・アーメッド・ジャラール・・・、このページを読んでらっしゃる方の多くは、この名前をご存じないと思います。そのことは、日本とバングラデシュの交流と関係強化に携わるボクたちの力不足であったと思います。
・・・すみません、なにを言ってるかわかんないですよね。
ジャラール氏は、バングラデシュ独立以前から、おそらく最も深く日本と関わった外交官の一人です。彼は、昨年9月に亡くなるまで、日本・バングラデシュ交流史の生き証人として、両国の関係強化に貢献してこられました。
ボクとの直接のかかわりは、氏が日本とバングラデシュとの関係史の執筆のために来日された際にお会いした数ヶ月だけだったのですが、昨日、ダッカ市内にある「独立戦争博物館」に仕事で訪れた際、学芸員の方から、バングラデシュ独立運動当時の東京での独立支援・難民救済運動に深く関わったジャラール氏の遺品(これはまだ公開されていません)を見せていただき、不覚にも流れる涙を止めることができませんでした。
今回は、恥ずかしながら、その涙のわけをお話ししたいと思います。
シェイク・アーメッド・ジャラール氏(Mr.Sheikh Ahmed Jalal)は、1959年に文部省スカラーシップによる留学生として日本に留学し、1970年代初頭には、日本国内の支援者と氏の夫人とともにバングラデシュ独立運動と難民支援活動を東京から支援し、都内で募金活動等を行いました。その後彼は外交官として日本をはじめとする各国に在勤し、その間、日・バングラデシュ間の首脳会談を含む重要な会議・会談の際に公式日本語通訳として活躍されました。彼は、バングラデシュでは日本の童話をベンガル語に訳した絵本を、日本ではベンガルの童話を日本語に訳した絵本をそれぞれ出版されています。
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ボクが独立戦争博物館で見たものは、彼が日本に滞在していた間に集めたおびただしい数のバングラデシュ独立運動に関する新聞・雑誌の切り抜き(バングラデシュ独立戦争の特集を組んだ当時の朝日グラフ等日本語のものもあり)と、彼が東京から当時の東パキスタンの新聞社に書き送っていた日本に関する紹介記事の切り抜き、そして、彼と日本人支援者たちとの東京での独立支援活動の様子を写した貴重な写真の数々・・・。
日本留学後の彼の人生は、そのまま日本とバングラデシュとの交流の歴史と言えます。ボクは、バングラデシュの専門家のはしくれとして、彼の功績を伝えるための何ができたろう?彼が生きているうちに、もっと彼のことを日本人たちに伝えるべきじゃなかったのか?・・・・・情けなさに涙が出ました。
ボクは、こうした貴重な資料と、ジャラール氏の功績について、このページでも引き続き書いていきたいと思います。
彼が生きていれば・・・、って、今さら泣いても遅いんだけど、とにかく、今回、彼のおびただしい遺品を見て、何か書かずに居られませんでした。ジャラールという日本の友人がいたことを、覚えていてほしいとおもいました。
関連リンク: Japanese Universities Alumni Association in Bangladesh (JUAAB)





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