Ambassador Ruhul Amin dies in Paris Unb, Dhaka
Bangladesh Ambassador to France Ruhul Amin, who suffered a stroke, died in Paris yesterday.Ambassador Amin suffered the stroke while he was returning to Bangladesh mission after a meeting at the French foreign ministry Wednesday afternoon......
ちゃぱなんベンガル新聞にも書きましたが、悲しいニュースが来ました。
ちゃぱなんの十数年来の友人であるルフル・アミン駐仏バングラデシュ大使がパリで急逝しました。脳梗塞だそうです。
大使、といえば、ちゃぱなんにとっては雲の上の人でありますが、この人は、ちゃぱなんが駆け出しのころから、一人の友人として親しくしてくれた尊敬すべき外交官でした。今日は、この人のことを書きたいと思います。
最初に会った時には、アミン氏はバングラデシュ外務省の国連課長でした。当時ひよっこだったちゃぱなんは、仕事でよく彼の部下である課長補佐の職場を訪れていたのですが、たまたま課長であるアミン氏と直接話さなければならないことがあり、随分緊張して会いに行ったのを覚えています。バングラデシュ外務省において、国連局というのはおそらくもっとも多忙な部署のひとつであろうかと思うのですが、アミン氏は実にさわやかに応対してくれました。
仕事の話はわずか2~3分で済み、その後は、お互いの身の上話となり、アミン氏がフランス語畑の外交官で文芸や演劇を好み、自ら執筆もすると話していました。ボクはインドのシャンティニケタンでベンガル語を学び、ダッカに赴任してきた、と話しました。普通、バングラデシュ人の前で「インドでベンガル語を勉強した」などというと、なにやらバツの悪い顔をされたりするものですが、アミン氏は、ボクのインドでの体験に興味を示し、結局1時間以上にわたってベンガル文学の話に花を咲かせました。
その後も、食事に呼ばれたり、いろんな社交の場で顔を合わせたときに、芸術家の話や日本文化の話をしたりするようになりました。
その後同氏もボクもダッカから異動となり、6年ほど音信不通となりましたが、その後ボクがダッカに帰ってきたときにはアミン氏は国連局長となっており、また外務省の彼のオフィスで再会しました。6年前にボクと話した内容まで覚えていてくれたことがとてもうれしかったのを覚えています。
・・・ただ、そのころから、彼はあまり体が丈夫ではないのだなあ・・・と感じるようになりました。もともと文学青年として育ち、繊細で柔和な感じの人でしたから、外務省のようなストレスの多いところは向いてないんじゃないのかなあ、と他人事ながら心配したりしてました。
そして、ボクはボストンに転勤し、アミン氏は駐仏大使となったわけですが、最近、皆さんもおそらくご存知でしょうが、「バングラデシュのビシュヌ像、空港から消える」という報道がありましたね。パリでの展覧会のため空輸されるところだった神像が盗まれる、という事件が起こったわけですが、こういう海外での展覧会にバングラデシュの品が展示されるというのは本当に稀なことですから、おそらく、文化を愛するアミン大使は凄く力を入れていただろうし、それだけにこの事件はショックだったと思います。それがもし彼の死につながったとすれば、大変残念なことだと思います。
・・・もう一度会って話をしたかったな・・・。
ボクはこの人のことを決して忘れないと思います。
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