| Maine Gandhi Ko Nahin Mara | |
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この映画、歌も踊りもない、ニューウェーブ社会派映画とでもいいましょうか、従来のインド映画では考えられない徹底したシリアスドラマであります。「Maine Gandhi Ko Nahin Mara」という題名は、「私はガンディーを殺していない」という意味なのですが、この作品、別にガンディー暗殺事件を描いた映画ではありません。現代劇です。
アルツハイマーに冒された名優アヌパム・ケール演ずる元ヒンディ文学教授と、悩み苦しみながらも献身的にその父を支える娘のお話なのですが、このお話を十分に理解するためには、インドの歴史的背景を知っておく必要があります。
マハトマ・ガンディーという人は、非暴力・非殺生運動を通じてインドの英植民地からの独立を果たしたインド建国の父でありますが、1948年に暗殺されます。ケール演ずるウッタム・チョウドリー元教授は、幼少のころ、いたずら半分にガンディーの絵に矢を放って遊んでいたのを父親に見咎められ、激しく叱責されるのですが、ちょうどその日にガンディーが暗殺されるのです。ちょうどガンディーは建国の父として神格化されており、父親は、息子の不吉な行動によってガンディーが亡くなったと考え、息子と口をきかなくなったりします。この体験は、ウッタムの強烈なトラウマとなって心の奥底に残り、「自分がガンディーを殺してしまった」という強迫観念を植え付けられてしまうのです。
教職を退いた後、アルツハイマー症を発症したウッタムは、そのトラウマに襲われます。親が子を殺し、子が親を殺すといった病んだ社会を映すニュースが、非暴力・非殺生を説いたガンディーの死とダブり、ウッタムを苛むのです。ガンディー主義を見失い、病んでいく社会。罪の意識に苦しめられた挙句、自分が監獄に入れられたと錯覚し、自分を心配する娘や息子すら看守と思い込みます。父のせいで婚約を破談にされ、半狂乱となる娘。それでも、真剣に父と向き合い、最後にある試みをするのです。
こんなところがあらすじです。非常に重いテーマでありますが、歌や踊りやコントやアクションでごまかさず、社会の病巣に真っ向から向き合った作品だと思います。
奇しくもアルツハイマー症に冒された役を同時期に演じた、「BLACK」のアミタブ・バッチャンと本作のアヌパム・ケール、どうしても比較してしまいますが、いずれも甲乙つけがたい迫真の演技であったと思います。
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