前回に続き「嘉夢蔵」です。今回は、「長浜ヒットラー・ユーゲント」を出たカリカリの長浜原理主義者の視点から、長浜ラーメンと「嘉夢蔵スローフード」という、いわば対極に位置するラーメンを比較し、どちらが僕の「理想の行きつけの店」になれるのかを考えてみたいと思います。
先攻は、長浜ラーメンで行きましょう。本来、長浜ラーメンは、魚市場の短気な荒くれ男たちが腹ごしらえをするものですから、「早い、うまい、安い」が絶対条件であり、宿命的に「ファーストフード」なのです。ラーメン自体も、濃厚かつ脂っこいスープを大量のねぎや極細麺ですっきり飲ませることを旨とした、ピーキーなレーシングカーのようなつくりになっています。だから、一杯の長浜ラーメンが与える莫大なエネルギー量を消化できるのは、市場の男たちか、体育会系のマッチョ君たちだけなのです。食べなれない女性が食べて体調を崩すケースも多いといいます。ただ、うまいことは疑いがないです。少なくとも、長浜ラーメンとともに青春を過ごした僕にとっては。だって、店に入って30秒以内に出されるオクタン価の高いラーメンが魂に刷り込まれているのだもの。
後攻は、「嘉夢蔵」。「スローフード」卵麺と長浜ラーメンとの最大の違いは、やはり油の量じゃないでしょうか。卵麺のスープには油が浮いていません。おそらくほとんど使っていませんね。限りなく「汁そば」に近いラーメンといえます。「油」=「健康に悪い」と定義すれば、「体によい素材しか使わない」という卵麺には油はご法度ということになりますが、卵麺を食べたあとにわずかに感じる「物足りなさ」は、多分脂分の少なさによるものと思います。逆に、そういう制約の中で、そこらのラーメン屋よりうまいラーメンを出すというのはすごいことだと思うのですけどね。
僕の中で、「良い食材を使った良いものを食べよう」という「スローフード」の思想に共鳴する自分と、「うまいもんばはよ食べたいっタイ。はよしちゃらんね」という「博多っ子」魂がすりこまれた自分とがぶつかり合っているのです。どっちも「食いしん坊」の素直な気持ちだと思うのです。
結論としては・・・、「良いものを食べよう」という「スローフード=嘉夢蔵」を応援したい、でも、それだけあればほかに何もいらない、というところまではいかない、といったところでしょう。行きつけの店というのは、世界中のあらゆる店がある日なくなったとしても、その店さえあれば「ま、いいか」と思える店だと思うのですが、それはどっちかといえば、やはり生まれ育った福岡のラーメンの店だと思うのです。それがいかに不健康なものであっても・・・。結局そこに行き着いちゃうのかなぁ・・・。

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